クリエイターインタビュー 第1回 後編 株式会社タツノコプロ 代表 取締役社長 伊藤響

タツノコ作品の革新性のひとつとして、劇画調の絵を動かしたことが挙げられます。その端緒といえるのが『マッハGoGoGo』(1967年)です。
この作品が人気を呼んだ理由は、それまでにはないリアルなスピード感です。それまでのアニメにおいてクルマのデザインは極めて記号的で、動きもマンガ的でした。ところがスピードレースを扱った『マッハGoGoGo』ではクルマのデザインはしっかりと描き込まれ、スピンなどの挙動まで表現されている。そうしたリアル感の追求に加え、吉田竜夫が生み出すキャラクターデザインには独特のセンスがありアニメーターにとっても最初は難物でした。
多くの作品を監督した笹川ひろしの証言によれば、当時は朝から晩まで吉田や九里がアニメーターの作業したもの修正する作業が続いていたそうです。
「当初、アニメ制作はまったくの素人でした。しかも吉田さんの絵は、デフォルメされて描きやすいディズニー作品と異なり、線が多く、リアルでシャープだった。何枚も同じ絵を描くアニメにはすごく不向きで、他社の何倍も苦労しましたが、頑固で情熱的な吉田さんの決意は揺るがなかった」(『読売新聞』2022年10月3日付朝刊)
この労力を割いた結果、視聴者である子供たちは熱狂したのです。そうして『科学忍者隊ガッチャマン』『新造人間キャシャーン』という、ほかには真似できない新たなスタイルの作品も生まれていきました。
こうしたゼロから新たなスタイルの作品を世に生み出していくことを志向していたことが、柔軟かつ多彩なタツノコ作品の原点となっていることはいうまでもありません。
天野喜孝は「スタッフはそれぞれ描きたい世界をもっており、そういった人たちをまとめていたのが竜夫さんだった」と証言しています。とりわけ『ヤッターマン』を手がけた時のエピソードは秀逸です。
この時、吉田は天野に「1週間会社に来なくてよい」と伝えたという。もちろん、社内では会社に来ないことに対して異論もあったそうですが、吉田は「天野くんはあれでいいんだ」といったそうです。つまり、結果として素晴らしい仕事が出来上がれば、その過程は問わない。それもまた、吉田イズムの一部だったといえるでしょう。
ちなみに『ヤッターマン』を始めとする『タイムボカンシリーズ』はリアルな作風ばかり追いかけていると制作が追いつかなくなるという危機感も相まって生まれたものなのです。ひとつの成功体験があれば、そこに拠ってしまいがちですが、まったく違う方向性の作品を展開することができたのも、やはり吉田イズムの柔軟性といえるでしょう。いまだに、主人公側が男女ペア、悪役は美女のボスと頭脳派、怪力系の3人組で間が抜けているという基本設定は、様々なジャンルで定番中の定番として定着しています。
それでいて、シリーズ内では子供に飽きさせないための様々な工夫が盛りだくさんです。『タイムパトロール隊オタスケマン』では、主人公側と悪役側が同じ組織に所属しているという独特の設定を持ち込みました。『ヤットデタマン』からはヒーローを男性ひとりに絞り込み、巨大ロボットを登場させています。さらに『逆転イッパツマン』では、途中で主人公であるイッパツマンが敗れる回が登場。その回……第30話は「シリーズ初!悪が勝つ」というサブタイトル。タイトルからして子供に飽きさせない工夫です。
こうした、ひとつのジャンルや方向性に囚われない試行錯誤を常に繰り返してきたことこそが、タツノコ作品がいつでも大衆に信頼される理由ともいえるでしょう。
©タツノコプロ

タツノコプロのもつ革新性、オリジナルコンテンツを生み出す力は、創業者の吉田竜夫が生み出した吉田イズムといえる姿勢から始まりました。そして、それを継承し、発展させてきた多くのスタッフに、今も支えられています。会社の社長という”プロデューサー”に就任した伊藤さんによって、さらなる発展を期待します。
そんなタツノコプロは、2013年から武蔵野市中町に社屋を移しました。創作と周辺環境には密接な関係があります。
伊藤さんは、武蔵野市に出勤するようになった今、街の魅力をこう語ります。
「やっぱり、スタッフや関係者が数多く周辺にいますので、制作環境という意味では便利ですよね。すぐに集まることができます。今は新型コロナウイルス感染症の問題があるので、簡単には集まれなくなってしまったのですが」
アニメ制作会社は、武蔵野市、練馬区、杉並区、三鷹市など(さらにその周辺にも)、その多くが東京都西部に固まっています。また、漫画家をはじめとする、多くのクリエイターも集まっています。
また、街自体の魅力も感じています。
「中央線って便利だな……と思いました。これまで汐留に出勤していたので、最寄りが三鷹駅と聞いて遠いんだろうなと思っていたんです。でも、これまでと時間は変わらないし乗り換えの手間も含めると、すごく便利ですね」
ただ、ひとつ残念なのはコロナ禍ということもあり、美味しそうなお店を楽しめないこと。
「すごく美味しそうなお店が多いですよね。前の社長からも、色々と美味しいお店を紹介して貰ったのですが、このご時世が、なかなか許してくれないのが残念です」
クリエイティブ活動の推進力は、スタッフが集まってわいわいと話し合うこと。そのためには、魅力的なお店が必要です。吉祥寺を始め、武蔵野市の”街”は、創作意欲を支えてきました。そして同時に、お店の魅力は、そこに集うお客さんたちがつくっていくもの。武蔵野市に住む多くのクリエイター達が、楽しい武蔵野市の街をつくり上げてくれたのです。
これまで以上に、クリエイターと地域の距離は縮まってきています。タツノコプロと武蔵野市は、2022年11月3日まで約2カ月間行っていた「武蔵野市トレジャーハンティング2022 【探偵ムサシの超宝さがし〜ドクロベエとやまねコロン!〜】」など、新しい取り組みを始めています。
今年60周年を迎えたタツノコプロは、2023年1月に開催される『アニマン祭 タツノコプロ60周年記念』イベントも含め、武蔵野市と歩調を合わせ、これからも素晴らしい作品を生み出していってくれることでしょう。
©タツノコプロ