クリエイターインタビュー 第2回 中編 株式会社J.C.STAFF 代表取締役 宮田知行
クリエイターインタビュー第3回は、J.C.STAFF代表の宮田知行さん。タツノコプロの文芸担当・プロデューサーからはじまり、キティ・フィルムでは『みゆき』などを手がけ、その後、J.C.STAFFを設立し、現在では日本アニメの主力の一端を担う会社に成長させた、まさにアニメ界の全てを見てきたレジェンドです。しかし、そのキャリアは苦労の連続。中編となる今回は、ついにJ.C.STAFFが創立されます。
OVA専門からはじまったJ.C.STAFF
——J.C.STAFF設立時のお話しをお願いします。
宮田:J.C.STAFFを1986年1月に設立しました。36歳でした。
設立の動機はもちろんOVAの制作ですが、もうひとつありました。当時のTVアニメは、東映アニメーション、日本アニメーション、タツノコプロ、エイケン、東京ムービーなど大手の5、6社の独占状態で、それ以外の会社はほぼ全部下請けでした。初期の日本サンライズも僕がタツノコ時代には下請けとして仕事をお願いしたこともありました。
そのころ大手5、6社からスピンアウトした制作担当がたくさんの下請け会社を作っていました。そうしたアニメ下請け「業界」は、正社員制も無く、社会保険も無く、長時間労働で徹夜が当たり前など劣悪な労働環境で、ただただアニメを目指した若者の情熱と体力を削ぎ落すような状況でした。給料遅配などは珍しくなく、外注費未払いや「ある日突然会社がなくなっていた」なんてことも時にはありました。局、代理店、スポンサー、出版社等をメインフィールドにしていた僕が徐々にアニメ制作現場寄りになり、次々と目にした光景でした。
アニメの現場スタッフに安定したフィールド、そして正社員制を提供したいと強く思いました。作品を作りたい、人の役に立ちたい、宮田の原点と合致しました。後に明文化したJ.C.STAFFの創立理念です。
——自分たちが作りたいものを作る、ということで、そうした「ちゃんとした会社」で、当時まだ出始めたばかりの、自由度の高いOVAを手がけたのですね。
宮田:そうですね。例えばTVコードとか、子供の見るものだから的な教育関連団体からのクレームだとか、スポンサーの商品だとかの制約を受けないで純粋に映像作品として創ることの喜びでわくわくしてました。J.C.STAFFとしての初作品は、1987年の『エルフ17』(山本貴嗣)です。少女漫画で著名な白泉社から刊行された少年漫画原作の作品です。
——え、『戦国綺譚 妖刀伝』が最初ではないのですか。
宮田:『エルフ』と『妖刀伝』は同時に作ってました。但し『妖刀伝』は新進気鋭の若手が集まった「南町奉行所」とのコラボでしたので、JCだけの第一作は『エルフ』という意味です。圧倒的に注目されたのは『妖刀伝』でした(笑)
※南町奉行所:1984年創立のアニメ制作会社。主なスタッフは山崎理、大貫健一、大張正己、西井正典など
※山崎理:アニメ監督、プロデューサー。『妖刀伝』シリーズでは原案、監督などを担当。代表作に『地球へ…』『薄桜鬼』シリーズなど
※大貫健一:アニメーター。『妖刀伝』シリーズではキャラクターデザイン、作画監督を担当。代表作に『機動戦士ガンダムSEED』シリーズ、『Major』シリーズなど
※大張正己:アニメ監督、メカニックデザイナー。代表作に『超重神グラヴィオン』『ガンダムビルドファイターズ』シリーズなど
※西井正典:アニメーター。代表作に『天地無用!』シリーズ、『機動戦士ガンダムSEED』シリーズ、『宇宙戦艦ヤマト2199』など
その後、スタジオライブの芦田さん、鳥山明さんと組んで『小助さま 力丸さま コンペイ島の竜』、JC完全オリジナル『幻想叙譚エルシア』、夢枕獏さんの『ねこひきのオルオラネ』などをプロデュースし、OVA会社としてのJ.C.STAFFが確立したのかな。
※芦田豊雄:アニメーター、監督。『魔法のプリンセス ミンキーモモ』『銀河漂流バイファム』などのキャラクターデザイナー、『北斗の拳』シリーズ監督として著名。
——1980年代の中盤までに生まれてきたOVAは、1980年代の終わりから90年代の初めにかけて、大きなブームとなりました。オリジナル作品だけではなく『機動戦士ガンダム』や『超時空要塞マクロス』のスピンオフ作品もヒットしましたね。
宮田:『ガンダム』や『マクロス』のスピンオフシリーズは、OVAの横綱でしょう。映像がとにかくすごかったし、よく売れた。
そうした流れの中で、JCは着実に地味に(笑) 小ヒット中ヒットのOVAを作り続けました。そのおかげで社会保険完備をはじめ、社員の雇用条件、就労状況の改善をコツコツと図って行きました。
この頃から自分の性格もなぜか地味に堅実になってしまったような気がします(笑)
そんな頃、実はテレビシリーズのチャンスもあったんですよ。田中芳樹さんの小説『アルスラーン戦記』です。結局、劇場版アニメ映画として1991年に公開されましたが、最初はテレビシリーズの話で、当時角川書店(現・KADOKAWA)にいらした田宮武さんからいただきました。田宮さんは、あのプラモデルのタミヤの御曹司で、伝説的なプロデューサーです。
でも、お断りしました。当時のJ.C.STAFFの制作力では『アルスラーン戦記』のクオリティで毎週オンエアーはほぼ無理だった。のどから手が出るほどやりたかったのですが、泣く泣くお断りしました。
※田宮武:東映動画時代には『宇宙海賊キャプテン・ハーロック アルカディア号の謎』『キン肉マン』シリーズ、角川書店時代には『宇宙皇子』『ロードス島戦記』などのプロデューサーを担当
※アルスラーン戦記:田中芳樹の長編ファンタジー小説。最終的には、毎年新作が公開される映画シリーズとして公開されたが、1992年に発生した「角川書店お家騒動」の影響もあり、劇場版2作、OVA4作が制作された。J.C.STAFFは1995年の第5、第6作に参加することになる。TVシリーズは、荒川弘作画の漫画版発表後、漫画版を実質的な原作として2015年に制作され、ライデンフィルム、サンジゲンが制作を担当した
——そうやってOVAを出しながら力を蓄え、1994年からTVシリーズや劇場作品の制作も手がけるようになりました。
宮田:テレビシリーズ第一作は『メタルファイター♥MIKU』というテレビ東京の女子プロレスアニメでした。監督には若手の新房昭之くん(今では有名監督)を起用し、日本ビクターと組んで颯爽とTVシリーズデビューしたはずだったのですが、う~む企画の問題なのか制作力の問題なのか……またまた駄目でした(笑)
※新房昭之:アニメ監督、演出家。独特の映像表現を駆使し『さよなら絶望先生』シリーズ、『化物語』シリーズ、『魔法少女まどか☆マギカ』シリーズなど多数のヒット作を世に送り出している。
劇場版は1994年の『ダークサイド・ブルース』(原作:菊地秀行、作画:あしべゆうほ)。東宝、秋田書店、J.C.STAFF共同製作でやっとメジャーに、のはずが興行的にはほぼ失敗。またまたまたの結末です(笑)
しかしめげずに翌年には、現在のライトノベルを確固たる存在にしたといえる『スレイヤーズ』の劇場版をアニメーション制作として受け持ちました。
※『スレイヤーズ』:神坂一作、あらいずみるいイラストのライトノベル。「アニメ調のイラスト」を表紙・挿絵に起用する現在のライトノベルのスタイルと、アニメなどのメディアミックス展開を定着させた大ヒット作。アニメ作品はTV5作、劇場版5作、OVA2作がある