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クリエイターインタビュー 第2回 中編 株式会社J.C.STAFF 代表取締役 宮田知行

『少女革命ウテナ』
©ビーパパス・さいとうちほ/小学館・少革委員会・テレビ東京

『ウテナ』がひとつのターニングポイントとなる

——そうした中J.C.STAFFは、1997年の『少女革命ウテナ』で一気に注目を集めます。

宮田:確かにその通りです。『ウテナ』以降、業界の人、アニメファンなどのJCの見方が変わってきたというのは実感しました。どこがと言われると明確なポイントは無いんですが入社希望者が増えたのは確かです。雰囲気的なものですがメーカー等のJCに対する対応が微妙に違うなど、変な言い方ですがワンランク上がったのかな的な変化です。

——今改めて『少女革命ウテナ』を観ると、その後に続くというか、21世紀初頭のアニメの流れを決めた作品のように見えるのですが。

宮田:まず企画を立ち上げたキングレコードの大月さん、それから監督の幾原さんの企画力、メインスタッフを務めた「ビーパパス」、そして制作を含めたJCのスタッフたちのコラボと頑張りの結果だと思うんですが、そういう評価は本当にありがたいです。

※大月俊倫:元キングレコード専務取締役。スターチャイルドレーベルで、ドラマCD,、アニメサントラ制作に活躍。後に『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズなどのプロデューサーとして、アニメ史に大きな足跡を残している。
※幾原邦彦:アニメ監督。『少女革命ウテナ』監督をはじめ、主な作品に『美少女戦士セーラームーン』シリーズ(演出、シリーズディレクター)、『輪るピングドラム』(監督)など。

——そこから21世紀を迎える渦中、J.C.STAFFはメジャーでありながら、『それいけ!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ』『エクセル・サーガ』『あずまんが大王』といった、そもそもの「OVAのJ.C.STAFF」らしいというか、なかなかラジカルな作品を送り出しています。合わせて『魔法遣いに大切なこと』『ハチミツとクローバー』など、初期から手がけてきた少女漫画路線の作品も発表しています。

宮田:2000年代前半は、本当の意味で成長期だったと思います。今から振り返ると、さきほど作品名を挙げてもらった『あずまんが大王』とか『ハチミツとクローバー』などは、アニメファンが後から「あれはJ.C.STAFFだったのか」と認識してもらえた作品です。

——2005年に『ハチミツとクローバー』のアニメ版を、フジテレビの「ノイタミナ」放送枠第一作としてJ.C.STAFFが作ったのですね。「ノイタミナ」は、言ってみれば「とがった」OVA的な作品を、多くの人に観てもらうためにテレビで放送するのだ、という感覚の放送枠です。当時の業界内部では「あの『ハチクロ』をJCがアニメにするのか」とびっくりしていました。『ハチクロ』は、いわゆる「オタク」とはある種相容れない、オシャレ感覚がある作品だった。そういうものを、深夜アニメで作り上げてしまったのがJ.C.STAFFでした。つまりこれは、1980年代から「少女漫画」に取り組んできた宮田さんとJ.C.STAFFの本領発揮だったのではないでしょうか。

宮田:確かに『みゆき』『街メル』でやろうとしたことで、約20年後にその路線の『ハチクロ』が「ノイタミナ」の第一作となり多くの評価を得たことは感慨深いですね。

——そして、徐々に評価を高めつつあったJ.C.STAFFが、その後本当の意味でメジャー制作会社として名乗りを上げたのは、2005年からだと思います。この年から、当時隆盛を極めていた「角川ラノベ」のヒット作を3本も制作しました。

宮田:『灼眼のシャナ』『ゼロの使い魔』そして『とある』シリーズですね。この頃からですね。アニメファン、そしてなによりもアニメ界への就職希望者に広く認知され、自分たち役員だけでなく社員みんながなんか嬉しい、頑張ってきて良かったと感じるようになった頃だと思います。個人的な感想ですがJC黎明期に角川の田宮さんからメジャーの道が始まり、角川作品でそれを確立出来たのは何か縁を感じますね。

——確かに、先ほど『灼眼のシャナ』『ゼロの使い魔』『とある』シリーズのタイトルを出しましたが、すべて大長編の小説作品です。これを、13話、26話、52話といったテレビシリーズに「落とし込む」のはかなり大変だったと思います。

宮田:プロデューサー、監督、 シリーズ構成者の力技と苦労の賜物でしょう。第三者的な言い方になってますが、実は50歳過ぎた頃から制作現場を完全に離れたので想像で話しました(笑)

ちょうどアニメプロデュース界、特にメーカー、TV局、出版社、レコード会社等の最前線の担当が世代交代した時期だったと思います。

元々映画作り、映像作りをしたくてこの業界に入り、JCを作ってからは経営も作品作りも先頭で突っ走ってきたので、かなり落ち込んで、実は引退も考えてました。そんな時スタジオ内でいろいろな問題が発生し、このまま自分が抜けるのは無責任と考え気力が復活しました。その時思いついたのが、アニメ制作会社を作品と考え、社員の将来、プロダクションの在り方などを今まで以上にしっかりやっていこうと方向転換をしたのです。つまり作品プロデュースはやめたけどアニメスタジオという「作品」のプロデューサーをやっていこうと考えました。

それから20年、いろいろ改革・改善、つまずきなどもあったりして現在に至るということですが、この辺の話はまたいつか機会があればということにしましょう。

後編へ続く

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