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クリエイターインタビュー 第2回 後編 株式会社J.C.STAFF 代表取締役 宮田知行

J.C.STAFF本社が入居するスイングビル
クリエイターインタビュー第3回は、J.C.STAFF代表の宮田知行さん。タツノコプロの文芸担当・プロデューサーからはじまり、キティ・フィルムでは『みゆき』などを手がけ、日本アニメ界の主力の一端を背負うJ.C.STAFFを創立した、まさにアニメ界の全てを見てきたレジェンドです。後編となる今回は、武蔵野市とのかかわり、そして現在のJ.C.STAFFが取り組んでいる課題についてお聞きしました。
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「下積み」時代は三鷹。古いビルを自由に改造して快適だったが……

——さて、J.C.STAFFは現在武蔵境駅目の前のスイングビルに入っていますが、それまでは三鷹市におられたんですね。

宮田:三鷹の2DKのアパートで産声を上げ、半年ほどで杉並区の松庵、その半年後に三鷹市の上連雀、また1年後に三鷹シティホテルの横の前田ビルに移って、やっと会社らしく見えるようになりました。その時ビル横のサインポールに初めてJ.C.STAFFという看板が出て、感激したことを覚えています。
その頃は毎週『アルバイトニュース』に「制作スタッフ募集」を出していました。大手新聞の求人広告を出したけどほぼ反応なし、アニメ専門学校に求人しても雀の涙ほどの応募。特に制作スタッフはクリエイターで就職できなかった子達が最後の手段とばかり制作で入社しますが、コミュニケーション能力も運転も覚束なくてすぐ退社してしまうことの繰り返し。そんな状況なので免許さえあればアニメに詳しくなくても進行初期は出来るという感じでアルバイトニュースに頼っていました。おかげで『アルバイトニュース』の人と親しくなったりして、一番安い料金でお願いしているのに、かなり大きなスペースで載せてくれたりしました(笑)

——今では「アニメ制作会社」といえば一定の人気がありますが、1990年前後はそんな感じだったのですね。

宮田:変な言い方ですが、宮田としてのアニメキャリアはそれなりにあったと思いますが、J.C.STAFFという会社は全くの無名で、人集めにはホントにホントに苦労しました。聞くも涙のエピソードも色々ありますがここではやめておきます。
そんな時、僕の友人から代々木アニメーション学院の特別講師をやらないかという依頼がありました。
その友人は、もと仕上会社の社長さんで、なんでも、「色設定」という職種を最初に作り上げた人だと聞いています。その人とは、JC作品の仕事をお願いしている時に親しくなり、彼が会社を畳んで代々木の講師に転身した後も交流が続いていました。
特別講師の内容は、制作科約100名の生徒に対してプロデューサー講座をという依頼でした。先ほども話したと思いますが、その頃はめちゃめちゃ忙しい時だった。経営者、作品のJC側プロデューサー、スタジオマネージャー、大手外注・韓国/中国担当、採用責任者、総務責任者など全て兼ねて、経理と社長室を兼ねていた事務室に仕切りを作り、そこで寝泊りしているような状況でした。

——僕ら出版の仕事もそうなんですが、アニメ会社もあの頃はそれが当たり前だったと言っちゃっていいんですかね。それで、結局代々木の講師の件はどうなさったのですか。

宮田:当時アニメ専門学校は代々木アニメーション学院の一強時代で代々木~アニメ会社というのが定番でした。月一回午前3時間、午後3時間の講座で一日潰すのはもったいないけれど、専門学校の先生をやればリクルートにもなるし、これでアルバイトニュースから卒業できるかもと思い引き受けました。約2年やりましたが案の定、学院からのJC志望者は飛躍的に増え、これ以降新人集めに苦労することは無くなりました(笑)
余談ですが、うちの大黒柱の松倉はその流れで代々木大阪校の一日講師の時に口説き気味に誘った生徒です(笑)

話は戻りますが、93年に下連雀4丁目にあった駐車場付き一棟貸しビルに移転しました。大ヒット作は無かったけれどOVA作品を順調に制作していて、社員も年々増え続け、確か100名前後になっていたと思います。だから広いスペースに移れたことをクリエイター系社員が喜び、駐車場付きであることを制作進行が喜んでくれた。そして何よりも会社が徐々に発展しているという雰囲気が皆に伝わって士気が上がり、作品もガンダムの富野監督で『バイストン・ウェル物語 ガーゼィの翼』、『スレイヤーズ』の劇場版などを担当し、軌道に乗り始めてました。
移転した貸しビルは、オタリ電気という会社が所有している各フロア100坪程度の3階建ての古いビルでした。その会社の総務部長さんの「いずれは壊す建物なのでどう使ってもいいよ」という言葉に甘えて、1階を3メートル程度掘り下げ撮影カメラ6台を設置し、JC撮影部をスタートさせました。

※セルアニメの撮影では、マルチ、ゴンドラなど高度な撮影を行うために大型の撮影台が必要だった。

制作部、総務部、仕上部、動画部、原画部、美術部、そして懸案だった撮影部が出来、さぁこれからという時でした。好事魔多しということなのか、マンションを建てるので立ち退いてくれとの通達。泣く子と大家には勝てず(笑)慌てて引っ越し先を探しました。
社員の住まい状況を考えると三鷹、武蔵境周辺に移転しなければと必死に探しましたが、それだけの大きなスペースで代替わりできるような所は中々見つかりません。そんな折り、今のスイングビルが空いているというので早速内覧しました。
駅の真ん前でこんな綺麗なビルは、労働集約型のアニメスタジオにはそぐわない。だいいち条件的に無理だろうから、とりあえず記念に一部社員を連れて見学だけでも(笑)「いいなーここ」「駅のホームが見える」「富士山も見える」とか大騒ぎ。当時アニメ会社でここまで駅前という会社はなかったし、当然賃料もネックになった。だけど引っ越し期限が迫っているし、会社を作って16年それまでどちらかと言うと古めで少し暗い所を転々としてきたので、「う~ん一度くらいこんな素敵なビルに入ってもバチは当たらんだろう」と幹部と相談して、3年契約なので3年限定で入ろうと決めました。気分は清水の舞台でしたね(笑)

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