アニメノマンガノムサシノ2022 特別座談会 「アニメ・マンガの街武蔵野市のポテンシャルと課題」リポート
個性的な街が新しいアイデアを生む
——これから、どんな街になっていって欲しいと思いますか。
江口:個性を残した街になって欲しいですよね。無個性になるのだけは勘弁して欲しい。僕にとって吉祥寺は憧れの街だったんです。いろいろなドラマの舞台になったり、フォークシンガーの高田渡さんもいたし、(そうした街が)無個性になっていくのは忍びない。ちょっとでも残せるものは残して欲しい。ボアの中に東郷青児の絵が飾られていたじゃないですか。駅前のブックスいずみ(2014年に閉店した書店)のブックカバーも鈴木翁二さんが描いていたし、ジャズ喫茶も多かった。今では個人の喫茶店は数えるくらいしかない。そういうのは……そう、割と残っていて欲しい。
※東郷青児:1897年生まれの洋画家。やわらかなデフォルメが施された女性画で著名。活動後期には壁画や挿絵などに多彩な仕事を残している。ピカソやラファエロから影響を受け、大衆に愛される芸術を目指したその画風は、現代のアニメやマンガの表現にもその影響が見受けられる。
※鈴木翁二:1949年生まれの漫画家。雑誌『ガロ』などで活躍し『海のタッチ』『マッチ一本の話』などの作品が著名。カルメ・コウチとも。
——個性的なお店も残っていて欲しいですよね。
——松下市長からみて、マンガやアニメなどのコンテンツ産業に行政はどう拘わっていくべきだとお考えですか。
松下:市では計画を明記して進めて行っているわけですが、その中でも第二次産業振興計画ではコンテンツを生かした事業連携を掲げています。この間はアニメの制作会社と障害者就労を繋げました。ほかにも様々なことができると思いますが、歩きながら走りながら、コラボの方法を探っていきたいと考えています。無個性ではなく、個性がでるような取組をしていきたいですよね。
江口:重要文化財的な家屋を保護することがじゃないですか。喫茶店などもそのレベルにあると思うんです。そういった支援を行政がして欲しいと思いますね。ボアとかほんとに残すべきだったんですけどねえ。
——江口先生が、武蔵野市に住み続けているのはなぜですか。
江口:なんだろう。ここじゃなきゃ嫌だということはないけど、嫌なところがない。でも最近はどんどん、もういいかなという感じの街になっている。個性とかなくなっているけど。ハモニカ横丁がビルになった日には、もういいかなと思いますよ。
松下:今のところ再開発の計画はありませんので。ご安心を!
——武蔵野市にはクリエイターが多いので、個性も強くなるのでは
江口:それはあります。若者が呑んで騒ぐだけの街にはならないと思います。みんな個性がある店主がいる店にいきますから。そういうところから、アイデアが湧いてくる。だから吉祥寺にいたというのはあります。いなくなったら、面白いことが起こるんじゃないかと思ってね。……最近は、薄れていますけど。
松下:磁力が薄れているということでしょか。
江口:(武蔵野市に限らず)全国どこもそうですよね。だから、みんな努力していますよ。
——高橋会頭はいかがでしょう。
高橋:いまのお話をお伺いして、私の方向性は間違っていたところもある、と思いながら聞かせていただきました。改めて温故知新……残すべきところは残して、また変わるところはどんどん変わっていかなければならないと思いました。もう一度、吉祥寺の魅力とはなにかを考えて街づくりをしていきたいと思っています。私が最初考えたのはアニメだったんですが、市長からマンガもあるといわれて、タイトルも変わったんですよ。やはり、様々ご意見を頂きながら広げていきたいと思っています。
——最後に、このプロジェクトに期待することを江口先生から。
江口:……そう、街を挙げてドーンと。まだ知らない人がいっぱいいるんじゃないですか。吉祥寺はよそから来る人もいっぱいいるので、そこにヒキが欲しいですよね。なんかよそから来る人はオシャレな街だと思っているので、駅前にこの期間だけでもポスターをどーんと貼ってね……あ、僕が描くのか(笑)