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松倉友二J.C.STAFFチーフプロデューサー「アニマン祭 J.C.STAFFの歴史をつくった傑作たち」 開催直前予習インタビュー

松倉友二J.C.STAFFチーフプロデューサー。「アニマン祭」当日は、第2部から第4部のトークショーに出演していただきます

来月に迫った第二回「アニマン祭」。今年は武蔵境に本社を置くJ.C.STAFFとのコラボ企画です。イベントでは、J.C.STAFFがこれまで制作してきた傑作アニメ作品を観ながら、同社が成長してきた過程を振り返ります。
しかしなぜこの作品を上映するのか。上映作品の何が重要だったのか。J.C.STAFF作品を知り尽くした松倉友二J.C.STAFFチーフプロデューサーインタビューに、上映作品選定の理由を聞きました。

OVAを確立させた『戦国奇譚妖刀伝』

——ではさっそく「なぜこの作品を選んだのか、その作品のなにがJ.C.STAFFにとって重要だったのか」をお聞きしていきたいと思います。

松倉友二J.C.STAFFチーフプロデューサー(以下:松倉):よろしくお願いします!

——まず第1部の『妖刀伝 劇場版』これはもう理由はいらないですね(笑) J.C.STAFFがOVA(オリジナルビデオアニメーション)専門の制作会社として発足して、最初期に手がけ、ヒットした作品です。ただ、この時はまだ、松倉さんは入社前ですよね。

松倉:そうです。『妖刀伝』のリリース開始が1987年で、僕の入社は1992年かな? というか1987年ってまだ高校生でしたよ(笑)

——当時はいちファンとして観ていたのでしょうか。

松倉:そうですね。やっぱりセンセーショナルでした。面白かったですよ。OVAという時代が始まったことを感じさせる作品だったと思います。当時関西では「アニメだいすき!」(読売テレビ)というOVAなどを放送する番組枠があったのですが、そこで放映されたこともあってすごい人気となったことを覚えていますね。

——『妖刀伝』に関しては、「アニマン祭」イベント当日、プロデューサーを務めたJ.C.STAFFの宮田代表に、じっくりお聞きしたいと思います。

J.C.STAFFの「革命」でもあった『少女革命ウテナ』


——では、続いて第2部です。第2部では、最初のテレビアニメヒット作『少女革命ウテナ』、深夜アニメに新風を吹き込んだ「ノイタミナ」枠(フジテレビ)の第一弾『ハチミツとクローバー』、「ジャンプアニメ」の『食戟のソーマ』がチョイスされています。

松倉:やっぱり「歴史」というテーマですので、当時としても、今振り返ってみても、J.C.STAFFが変化したり、新しいなにかを提示できたと思える作品を選びました。

——ここからは、ほとんど松倉さんが関わった作品ばかりとなりますね。

松倉:そうですね。僕は入社半年くらいでいきなり作品を任されてしまって(笑) 一番最初は『超時空世紀オーガス』(毎日放送、東京ムービー新社 1983年)の続編にあたるOVA『超時空世紀オーガス02』(バンダイビジュアル※、ビックウエスト、毎日放送、小学館)。そこからもうずっとプロデューサーみたいな事をやってきました。

※バンダイビジュアル:1983年設立のアニメ、特撮販売会社。「モアイ」がモチーフの「EMOTION」レーベルが著名。設立当初は「AE企画」。世界初のOVA『ダロス』を発売したことでも知られる。現在はバンダイグループ内の統廃合により、バンダイナムコフィルムワークスの映像レーベル

——そして1997年。『少女革命ウテナ』が放送されます。OVA専門の制作会社としてはじまったJ.C.STAFFが、徐々に劇場版作品、そしてテレビアニメへとシフトしていく中、テレビアニメ制作会社として本格的に認知された作品です。

松倉:監督の幾原邦彦さんが暖めていた『ウテナ』の企画を、J.C.STAFFが制作する事になりました。キングレコードの大月俊倫プロデューサー経由で話が来ましたね。

——今回イベント上映が決まったこともあって改めて『ウテナ』を観なおしたのですが、今観ても新鮮です。当時としてはさらに衝撃的だったと思うのですが。

松倉:最初は「なんなんだこれは?」と思いましたよ(笑)
でも、幾原さんを始めとした原作チームのビーパパス(Bepapas)は、「こういうものを創りたいのだな」と。スタッフィングについては、そこを外さないようにお手伝いしました。
キャラクターデザインの長谷川眞也さんや、コンセプトデザインの長濱博史さんは早い段階で決まっていたのですが、J.C.STAFFが入ってから美術が小林七郎さんに決まりました。その意味では、あの「世界」の創造に、大きな貢献ができたのではないかと思いますね。

——放送当時、反響はどのような感じでしたか。

松倉:反響は大きかったですね。視聴率もなかなか良かったです。まあ、放送枠的に『新世紀エヴァンゲリオン』『機動戦艦ナデシコ』に続く作品でしたので、正直プレッシャーはありましたが、どうにかなってくれてホッとしました。
でも、面白かったですよね。ああいう尖った作品の反応というのは。「これは何かあるぞ」ということを感じてもらえる作品だったと思います。小さい頃に『ウテナ』を観てカルチャーショックを受け、そのままアニメにのめり込んでいったというような話をよく聞きました。

——『ウテナ』の成功で、J.C.STAFFという会社や松倉さん自身にどのような変化があったのでしょうか。

松倉:やはり、今までの「マイナーなOVA専門の会社」が、テレビアニメを手がけていく中で多くの人に知られてくるという実感はありました。ただ、『ウテナ』はやはりビーパパスという原作チームを前に押し出した作品でしたので、「ウチの力だけじゃない」ということも考えてはいましたね。だから「この後どうするべきか」というような事も、より真剣に考えるようになったと言えるかもしれません。

「アニメファン」の枠を押し広げた『ハチミツとクローバー』

——続いて『ハチミツとクローバー』(原作:羽海野チカ)です。この作品は少女漫画と言うよりも、比較的年齢層の高い女性向け漫画誌の連載作品ですね(編注:連載開始時は、宝島社刊行ファッション誌の派生誌、その後集英社の女性向け漫画誌で連載)。当時はすでに漫画読みの間では話題沸騰でしたが、こうした作品だけに「アニメ化するのか!」と驚いた記憶があります。

松倉:この作品は、いっしょに制作をしたジェンコさん(主にアニメ作品のプロデュースを行う企画・製作会社)から話をもらったのが最初だったのですが、僕も『ハチクロ』は読んでいて、大好きな作品でしたので「やるやる」と即答しました。

——フジテレビの「ノイタミナ」枠というのも特色だと思います。いわゆる「普通のアニメ」とは少し違うアプローチの作品を取り扱う「枠」の第一弾作品でしたね。

松倉:作品の性質から「仕事帰りのOLさんに観てもらう」というコンセプトを立てました。なので、できるだけ深夜過ぎない時間が良かった。そういう意味でも、ちょうどその頃始まったノイタミナ枠がとうまく組み合わさってくれた作品でしたね。

——音楽は「スピッツ」と「スガシカオ」。

松倉:イメージがあったんですよ。作品を読んでいて「後ろにその辺りの曲が流れている」って。そうしたら、原作の羽海野チカ先生もファンで、しかもスピッツとスガシカオのアルバムからタイトルをとっていたという。これはもうタイアップをとるしかないと。

——テレビアニメの場合、作品に合わせて曲を作るいわゆるアニソンや、作品とアーティストのプロモーションを一緒に行うタイアップがメインで、既存の曲を使わせてもらいに行くケースは少ないと思いますが。

松倉:珍しいというか、ほとんど無いケースでした。まあ色々と苦労しましたが(笑)
ただ、テレビアニメに「メジャーなアーティストの曲が乗る」という意味では、パイオニアになれたのかもしれません。合わせて、少女漫画・女性向け漫画原作の作品を商業ベースにのせ、テレビアニメのひとつのジャンルとして制作していけるということを証明できたのかな。良い作品はたくさんあっても、アニメ化というと、それまでは凄くハードルが高かったんです。

アニメで料理をおいしそうに描いた作品『食戟のソーマ』

——続きまして第2部のラストとなる『食戟のソーマ』です。

松倉:ジャンプアニメは『バクマン。』も制作していましたし経験はあったのですが、J.C.STAFFとしては「料理アニメ」のひとつの形を提示できた作品だと思っています。

——なるほど。確かにそれ以前ですと『ミスター味っ子』『美味しんぼ』などもありましたが、それほど数があったわけではないですね。

松倉:そもそも料理を絵でおいしそうに描くこと自体が非常に難しいんですね。セルではやはり限界がありました。しかし、セルの時代からデジタル作画の時代になったことで、料理の「絵」に掛けられる手間が格段に増えたのですね。工夫を凝らしたことで、リアルでおいしそうな料理の絵を描けるようになったと自負しています。

——どのような工夫があったのでしょうか。

松倉:繰り返しになりますが、デジタル作画は「果てしなく手を加えられる」んです。例えばお肉だったら、赤身、脂身、サシの部分、焼けた表面など、20枚近くの絵を重ねて作っています。これは、セルの時代だったらそもそも不可能な制作方法なんですね。あとは湯気やテカリなどを表現するエフェクトもあるでしょう。

——つまり、ついに「絵描きのイメージするおいしそうな料理を表現する手法を開拓した」というわけですね。

松倉:そう思っていただければ嬉しいのですが……(笑) その後いくつか料理モノのアニメが発表されましたが、間違いなく参考にしてもらえたと思っています。
それ以前からも、頑張ってはいたんです。『藍より青し』などは、ヒロインが純和風の女性だったこともあって、和食が出てくるシーンがあったんですね。その表現にはかなり力を入れましたが、そう簡単にいくものではない。でもある程度は形にできた。
そうした流れの中で『ソーマ』ではスタッフが本当に頑張ってくれて、ひとつの完成形に辿り着くことができたように感じています。
これ以降、「料理モノと言えばJ.C.STAFFでしょう」というようなイメージを作ることができた。
そういう意味では、J.C.STAFFの歴史という意味で、非常に重要な作品だと思っていますね。

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