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CREATOR INTRVIEW クリエイターインタビュー CREATOR INTRVIEW クリエイターインタビュー

松倉友二J.C.STAFFチーフプロデューサー「アニマン祭 J.C.STAFFの歴史をつくった傑作たち」 開催直前予習インタビュー

J.C.STAFFが提示した新機軸『あずまんが大王 THE ANIMATION』

——続いて第3部です。最初の作品は『あずまんが大王 THE ANIMATION』。これもヒット作ですね。2002年の放送ですが同時期に『藍より青し』もオンエアーしていました。J.C.STAFFが業界内部だけではなく、一般的にも知名度を上げてきた時期。そんな時に、その実力を存分に示した作品だと考えられます。
テレビアニメという形態を考えた時に、4コマ漫画を30分アニメに作り替えるということは、それこそ『サザエさん』以来、ひとつの基本形ではあります。ただ、やっぱり短いものを長くしていくのは再構成になりますから大変です。どんな苦労がありましたか?

松倉:実際大変ではありましたが、「嫌な苦労」はしなかった作品ですね。作っていて面白かったですよ。OP・EDを除いて本編が約20分。これを5分割して4コマ漫画5本分を1回で構成しています。この作り方の工夫、お話としてのテンポ。これを作っていく面白さもありました。
プロデューサーとしては『あずまんが大王』は「お祭りフィルム」にしたかったんですね。今までのタイトルを手伝ってもらった方々に参加してもらって、「色々なカラーがある」作品にするべく、スタッフを集めていきました。

——第3部は「名シーン」をフューチャーする回でもあります。松倉さんとして『あずまんが大王』の名シーンはどこだと思われますか。

松倉:良いシーンはいっぱいあるんですよ。その中で思い出に残るものというと、やっぱりOP・EDですね。ひとつ基軸を打ち出せたと思います。エンディングは監督の錦織博さんが自ら演出。オープニングは大畑清隆さんの演出です。大畑さんはあれをひとつのスタイルとして確立しましたね。今観ても『あずまんが大王』のOP・EDはキャッチーに出来ていると思います。
音楽もアニメとしては新しかったと思います。錦織監督が「栗原正巳」さんを希望し作り上げてくれたんですね。作品の幅がグッと広がった。その流れからの、あのオープニングでした。

——当時のインターネットコミュニティでも話題になりました。ちょうど「テキストサイト」から「ブログ」に移行中の時期でしたが、あの「あまりに不思議な感じ」が、多くの人を刺激していたのは僕も目撃していました。

松倉:さきほどお話した「お祭り感」は、ここにも出ている。僕らが「枠」を突破しようとして、色々な人の力を借りて、結集して、一定の成功を収められた作品だと考えています。

スピンオフがヒット作となった『とある科学の超電磁砲』

——続いては『とある科学の超電磁砲』です。皆さんご存じのように『超電磁砲』は『とある魔術の禁書目録』のスピンオフ作品ですが、「本編」と双璧を成す作品へと成長しています。

松倉:当然、ストーリーは鎌池和馬先生の原作小説があって『とある魔術の禁書目録』が大本です。『超電磁砲』は鎌池先生原作、冬川基先生作画の漫画作品です。
で、『超電磁砲』の主人公である御坂美琴は『禁書目録』の3巻から5巻、アニメだと10話からメインキャラで登場するわけですが(初登場はほぼ最初から)、これがそれまでと比べて格段に陰惨な話だった。このつらい話があってからのスピンオフなわけですよね。
でも、あの女の子にもちゃんと友達がいて、「青春」があったんだという。原作にはそのギャップの作り方の巧みさがあるんです。それを、アニメにした時にどこまで表現できるのか。そこに注力した作品です。

——『超電磁砲』は、OPでも女の子達が元気に走っていますし、楽しそうです。あのような絵作りに至ったのは、そうした「つらい話」とのコントラスト、といった意識があったのでしょうか。

松倉:それもあります。暗いバックボーンを背負っていても、自然体では明るい女の子たちの、友情であったり、御坂美琴と白井黒子のふたりであったりといった部分をフューチャーしていった作りでした。
まあ、「走っている」表現に関しては、fripSideの『only my railgun』という曲があって、あれに合わせた表現、ということでみんなが走っていたというのが実際ではあるのですが。あとは監督の長井龍雪さんは、ともかく走らせるのが好きなので(笑)

——『禁書目録』で、御坂美琴が対峙した「一方通行」は「絶対に勝てない相手」でした。

松倉:『超電磁砲』はその「前」の話なんですね。だからこそ明るく、でも悩みもある普通の少女。そこをアニメーションとして描きたかった。当然、僕ら制作や読者・視聴者は「その未来」を知っている。物語は絶対にそこへ向かっていくのです。だから、作りやすかったかといわれると、作りにくかったですよ。すぐ先の悲劇に向かっているのに、明るく楽しく進んでいく物語を作るのは(笑)

——お察しします(笑) 近年は良質のスピンオフ作品がジャンルや内外問わず増えてきていますが、やっぱりみんなその先の未来に思いを馳せてしまうんですね。
さて、そんな『超電磁砲』ですが、制作サイドとして考える「名場面」はどのシーンを思い浮かべますでしょうか。

松倉:第一シリーズでいえば、やっぱり最終話あたりでしょうね。高速道路のシーンとか。ストーリー展開ももちろんですが、アニメ制作サイドとしては「タイミング」「阿吽の呼吸」。ここは見応えがあったと思います。

——ただ、それって一番アニメを制作する上で大変・難しいところですよね。

松倉:いやー(笑) 大変でしたよ。後半のストーリーはほぼアニメオリジナルでした。オリジナルで作らなければならない中、そこで、美琴と黒子ふたりの力で勝つという展開を作れたことは、監督が非常に頑張ってくれたと思っています。シナリオも、オリジナルの部分も含め、非常にロジカルに詰めていってくれたので、構成として非常に美しく積み上がった中でのクライマックスでした。スタッフみんなの力も、主人公ペアと同様結集してくれたなと思いますね。

2Dアニメだからこそ3D作画が必要だった『ハイスコアガール』

——第3部最後は『ハイスコアガール』です。これはJ.C.STAFF初の本格的な3DCG作画作品です。

松倉:3D作画をこの作品で導入した最大の理由は、「ゲーム画面を常に正しく貼り込む」ことにありました。また、ゲームセンターが舞台となるシーンが多いので、ゲーム機、筐体をいかに寸分違わず正確に描写するか。そこにキャラクターを正しく配置するか。それを実現するために、3D作画は非常に適していたんですね。技術的な要素が強かったんです。

——素人目では、当時「2D格闘ゲームがメインなのになぜ3D作画」と思っていましたが、そういう理由だったんですね。

松倉:3Dでないと、ちゃんとした作画にならない。そういうわけだったんですね。完璧な「アストロシティ」(2D格闘ゲーム全盛期に普及していた対戦向けアーケードゲーム筐体)を再現できました。そのために実際にゲームセンターで採寸をしたり、結局自分でも中古の筐体を買ってしまったり(笑)

——原作の押切蓮介先生はもろに格闘ゲーム世代。原作はその生々しさが出ている作品でしたが、やはりアニメスタッフの方にもそうした方が多かったのですか?

松倉:そうですね。僕自身はもう少し上の世代で『ストリートファイターII』が稼働したころには、前職のゲーム会社に入社しちゃっていましたが(笑)

——押切先生とはどのようなお話をされたのですか?

松倉:もうほぼ完全に任せてもらえました。色々とお話もさせてもらって、仲良くしていただきましたが、だからといって勝手なことができるわけじゃない(笑) 原作の流れをアニメとしてどう再現するかは、やっぱり難しんですね。さらに、アニメですから、ハルオや大野晶といった「猛者」のプレイを描写しなければならないのですが、自分じゃとってもできない(笑) 強いプレイヤーが集まる有名なゲームセンター「ゲーセンミカド」に協力してもらって世界トップレベルのプレイヤーさん達が何度も徹夜でプレイ動画を作ってくれたり。

——そんな『ハイスコアガール』ですが、ずばり名場面とは。

松倉:この作品は、「3Dで作る2Dアニメ」でしたので、いわゆる「3Dならでは」という意味の場面はあんまりないんですね。やっぱり「ゲームセンターの描写」が最大の見所です。

——そんな中、小学生編のラスト、そして最終話では、3Dがその力を発揮しやすいシーンがありましたが「抑えめ?」という印象もありました。

松倉:確かに3D的なシーンではあるのですが、あくまでも2Dアニメーションを3D技術を使って作った認識です。過剰な3D的演出はやらないように監督と話し合ってました。

——やはり、この作品最大の見所は「2D作品を作るために3Dを活用した」ところなんですね。

松倉:まあ、他にも技術的には色々あったんです。アニメは1秒24コマが基本なのですが、ゲームは30コマ。そのまま24コマで映像を作るとタイトルによっては「技」が消えちゃったり。それで30コマでレンダリングを依頼したら、すごく嫌な顔をされたり(笑) 当然ですよ。手間と負荷が増えすぎる。自分たちで、やりたい、必要だと言ったがために、みんなが苦労しましたので、ひとつ「なんでもなく見えるシーン」こそ注目してもらえますと(笑)

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