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クリエイターインタビュー 第3回 前編 株式会社スタジオディーン 代表取締役 池田愼一郎

池田愼一郎代表取締役社長
スタジオディーンの池田愼一郎代表取締役。玩具の企画・販売などを行うイマ・グループのCEOでもある

クリエーターインタビュー第3回は、スタジオディーン。
スタジオディーンは、1975年の創業以来、高橋留美子作品や『機動警察パトレイバー』などで著名となり、近年では『薄桜鬼』『ヘタリア』などの女性向け作品や、『ひぐらしのなく頃に』『地獄少女』などのホラー・ミステリー路線、『GIANT KILLING』『グラゼニ』などのスポーツものなど、幅の広い作品を送り出している大手スタジオです。
同社は2005年に現在の吉祥寺南町に自社ビルを購入し、武蔵野市に移転。以来市内で活発な活動を行っています。
2025年に50周年を迎えるスタジオディーン。今回は、同社の池田愼一郎代表取締役に、スタジオディーンとはいかなるスタジオなのか。そして武蔵野市との関わりを聞きました。

仕上げスタジオからはじまったライ「ディーン」

⸺有名な話ですが、社名は『勇者ライディーン』から付けられたのですね。

池田:創業者の長谷川洋さんが、当時の日本サンライズ(サンライズ→現バンダイナムコフィルムワークス)から独立し、仕上げスタジオとして有限会社ディーンを立ち上げたんですね。1975年のことです。社名は当社が最初に手がけた『ライディーン』が由来となっています。

『勇者ライディーン』は、後に『機動戦士ガンダム』を制作する富野喜幸(現・富野由悠季)や安彦良和が参加した作品。しかも、富野は初のロボットもの。安彦に至ってはアニメのキャラクターデザインデビュー作です。『機動戦士ガンダム』に至る歴史の出発点といえる一作です。

さて、この『ライディーン』でスタジオディーンが担当したのは「仕上げ」。アニメ制作において「セル画に色を塗る」作業を主に指す業務です。1980年代中盤までのスタジオディーンは、仕上け担当の会社として『機動戦士ガンダム』『伝説巨神イデオン』などのサンライズ作品にかかわってきました。1985年の『装甲騎兵ボトムズ』まで、著名なサンライズリアルロボットアニメ作品のほとんどに参加しています。

そんな「仕上げスタジオ」にとって、転機となったのは、『うる星やつら(アニメ版 1981年~)』。1979年の『ドラえもん』(シンエイ動画制作のテレビ朝日放送の第2作目。最初のシリーズは1973年の日本テレビ版)や同年の『まんがはじめて物語』から制作(協力)にも進出していたスタジオディーンは、『うる星やつら』の制作にも参加していましたが、今では伝説的作品となっている劇場版作品『うる星やつらPart2 ビューティフルドリーマー』の実質的な制作拠点となり、総合アニメスタジオとしての活動を本格化させます。

以来、テレビ版『うる星やつら』の後期放送分(128話以降)では完全な「元請け」となり、以降は『めぞん一刻』『らんま1/2』など、高橋留美子作品の大半を担当。押井守監督の拠点のひとつともなり、日本のOVA(オリジナルビデオアニメ)作品における創生期の代表作である『天使のたまご』やOVA版『機動警察パトレイバー』、劇場版『機動警察パトレイバー the Movie』を制作します。

1990年代以降はさらに幅を広げ、『るろうに剣心』(1997年・67話以降)などの大メジャー作品から、マニア向けまで様々な作品を制作してきました。
こうした歴史の中で、スタジオディーンは大手アニメ制作会社としての地位を確立していきます。高橋留美子作品の制作から培われたのか、世評では「ボーイ ミーツ ガール」ものを得意とする、などとも言わるようになりました。

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