クリエイターインタビュー 第3回 前編 株式会社スタジオディーン 代表取締役 池田愼一郎
アニメを作るなら吉祥寺じゃないと?
⸺そんなスタジオディーンは2005年に吉祥寺に移転してきました。
池田:移転の理由は会社の規模も大きくなって手狭になったこと。そんなおり、ちょうど現在のビルが空いており、それならばとビルごと買い取り、本社ビルにしたんですね。それまではいくつもの場所で制作していたのが、ひとつの建物の中にみんなが集まることで、効率化できるのかなと。
⸺拠点の集約が、多くの作品を生み出すための効率化に大きく役立ったのですね。
池田:それはあったと思います。ただ、当時は充分な広さだったのですが……。今ではまた少し手狭になってきちゃったかな。だからといって移動する気もありません。実は社員も「吉祥寺の会社だから」ということで入社してきた人が多いんですね。
⸺会社が「どこにあるか」も、重要な環境作りだったと。
池田:武蔵野市、吉祥寺のブランド力というのは本当にすごいんだなと思いましたね。
私自身は郊外への憧れもありました。ですから、もっと空気が良いところで、とかそういう発想もあったのですが、社員のみんなはここが良いと。ですので、近所に新しいビルを探したりは常に続けています。
そうして吉祥寺に移ってきたスタジオディーンですが、実はその直後、厳しい状況を迎えていました。2007年にアメリカ発生したサブプライム住宅ローン危機などから始まり、2008年に大手投資銀行のリーマン・ブラザーズの破綻によって決定的となった世界規模の金融危機、いわゆる「リーマン・ショック」の発生です。
この時期のスタジオディーンは、そうした世相の中『ひぐらし』シリーズや『ヘタリア』『薄桜鬼』などのヒット作も出ており、基本的に順調ではあったのですが、それでも、2008年から2009年にかけて、アニメ業界全体の売上が約350億円、前年比で約20%も下がり、リーマン・ショックに伴うスポンサー離れから、業界全体の制作本数が減っていた時期だったのです。
しかしその頃は、単純にアニメーションを制作するだけではなく、ライセンス収入、広告・販促・イベント等収入などの「商品化」や、海外展開などを含む「アニメ産業」が、
すでに大きな売上を確立するようになっていた時期です。実際、2008年の「アニメ業界」の総売上が約1841 億円だったころ、その他展開を足した「アニメ産業」の売上は約1兆3085億円。単純計算で約7倍の規模となっていました。
この頃から、スタジオディーンは「アニメ産業」の一翼を担う玩具制作などを行うイマ・グループと提携の道を探り始めます。イマ・グループは、当時グッズの制作などを行い、また海外におけるアニメ制作にも関与していました。両者が協力することでのシナジー効果は大いに期待出来る状況があったのです。そして2011年、両者の協道は正式に始まり、イマ・グループの池田CEOがスタジオディーンの指揮も兼ねることになりました。