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クリエイターインタビュー 第2回 前編 株式会社J.C.STAFF 代表取締役 宮田知行

J.C.STAFF社屋

ついにJ.C.STAFF設立! の前にあったOVA企画

——そして1986年。ついにJ.C.STAFFが設立されます。

宮田:その原点はキティ・フィルム時代に作った日本初と思っていたOVAアニメ作品『Radio City Fantasy 街角のメルヘン』です。

——それまでのアニメは「世界名作」的なもの、ロボットアクション物、魔法少女物、それにタツノコの得意だった『いなかっぺ大将』や『昆虫物語 みなしごハッチ』のような人情物など、基本的に子供、家族で楽しめる作品がほとんどで、なおかつ地上波ゴールデンで放映され無料で視聴出来ました。それに対してOVA(オリジナルビデオアニメーション)のターゲットは中高生以上、大学生、社会人の中にも現れたアニメマニアに向けて制作したものでした。その創生期はオリジナル作品が多く、当時普及しつつあったビデオという媒体で映像そのものを販売するものとして始まりました。価格は5,000円~13,000円位くらいだったでしょうか。

宮田:キティグループの総帥の多賀さん(多賀英典社長)から「宮田に2,000万預けるからオリジナル作品を作りなさい。それをビデオパッケージで発売する」と。つまりレコード制作のノウハウと同じ考え方でオリジナルアニメをレコード店流通で販売するやり方に進出したのですね(当時のキティ・レコードはキャリアのある歌手ではなく井上陽水、安全地帯、来生たかお等を発掘し、次々とヒットを飛ばし業界をリードしていた)。

こうしてOVA『Radio City Fantasy 街角のメルヘン』はスタートしたのです。

当時のアニメではほとんど無かったと思いますが、17,8歳の等身大の男女の出会い、喪失、再会の1年間を新宿副都心開発中のストリートだけを舞台に描く。それともう一方で、ロックバンド「バージンVS」の『Radio City Fantasy』というアルバム全曲をBGMとして流しPV(プロモーションビデオ)風にし、両者をコラボしてアニメの新しい可能性を追及した作品を目指した。特に天野喜孝さんのキャラクターと小林七郎さんの背景をフィーチャーして登場人物は二人だけ、セリフも極力少なくという大胆な試みだった。

満を持して発売しましたが結果は今ひとつでした。

今でも時々観る時がありますが、結構いけてるな、と自分では思っていて、10年早すぎたという総括にしてます(笑)

ちなみに『街メル』は、OVAという形態の第一作だと思っていたのですが、記録上は世界初のOVAは押井守さんの『ダロス』だった。制作スタートはこちらの方が早かったと記憶していますが、キティ三鷹スタジオと、スタジオぴえろとの機動力の違いだったのかな(『ダロス』は1983年、『街メル』は1984年の発売)。

中編へ続く

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