クリエイターインタビュー 第1回 前編 株式会社タツノコプロ 代表 取締役社長 伊藤響
タツノコプロといえば、いわずと知れた日本有数の歴史を誇るアニメ制作プロダクション。同社が竜の子プロダクションからタツノコプロへ商号を変更し、三鷹駅にほど近い武蔵野市中町に移転したのは2013年3月のことです。
移転を契機として国分寺市では分散していた会社機能は集約。同社出身者によって設立されたプロダクションI.Gなど関係の深いスタジオとの物理的な距離も近くなった。以来、武蔵野市でも同社の作品を利用したコラボ企画は盛んになっています。「アニメノマンガノムサシノ2022」クリエイターインタビュー第一弾は、タツノコプロの伊藤響社長に、タツノコプロの今までとこれから、そして武蔵野市の魅力を聞きました。
伊藤さんは社長に就任して、まだ半年弱。タツノコプロとの仕事は社長業が初めてです。しかし、その人生においてタツノコプロとの関わりは思った以上に深いといいます。
「いま、57歳。タツノコ作品のメイン視聴者層です。『ガッチャマン』も『ヤッターマン』も初回からテレビに齧り付いて観ていました」
伊藤さんのフィルモグラフィーをみると『キングダム』などの実写化作品、『新解釈・三國志』などの実写オリジナル。そして、細田守監督の『竜とそばかすの姫』など実に幅広い。実は、その経歴の始まりもアニメーションでした。
「1987年に日本テレビに入社したのですが、最初にやったのがアニメーションの仕事だったんです」
初期に手がけた作品でもっとも知らているのが、今も放送されている『それいけ!アンパンマン』。立ち上げメンバーであり、初代プロデューサーです。『ルパン三世』を『金曜ロードショー』のスペシャル版として復活させることにも携わりました。
「アニメーションをやりたくてテレビ局に入ったわけではないのですが、偶然そうなって気づいたんです。アニメーションは子供が一番最初に自然な形で触れる映像。そう考えると奥が深いなと思ったんです」
アニメーションの面白さに気づいた頃に、隣の席で先輩がしている仕事をみて「いいなあ」と憧れました。先輩が担当していたのは『みなしごハッチ』です。
「やっぱり当時からタツノコ作品は憧れだったんですよね。作り手として学んでいく中で、色々なことを考えたのですが、原作ものとゼロからつくっていくアニメーションはちょっと違います。私は当時からオリジナルへのこだわりを持っていたので、憧れは尽きませんでした」
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